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日本刀の目貫と目釘が分離した時代について

寄稿者:通りすがり
日付:2019年9月27日

鑑刀居士様の問題提起は大変レベルの高いもので、軽々しく発言出来るものではないため、この場が適切な場所であるかとの問題もありますが、論文というような内容ではないので、また、私見などと大袈裟ではありませんがちょっと感じていることです。
短刀に関しては、新々刀期まで目釘と目貫が一体になったものを見ます。柄の中央付近にネジ式であったり、また、雄雌の目釘で嵌めているものがあります。
太刀に付いては、古い太刀の中心を見ると、目釘孔は中心の中央付近にあり、短刀と同じように飾り目釘を使っていたのでしょう。しかし、この目釘の位置が良くなく、刃区の方へ寄っていきます。
窪田清音の『刀装記』の中には、「...目くぎは柄中よりハバキ元によりたる方よし古代はなかごのただ中に孔を明けたれども建武の後よりそのあしきを知りて刃まちのかたへ寄たり...」とあるので、南北朝初期頃から目釘孔の位置が区寄りに移行して行ったと思われ、更に、区側の位置では飾り目釘として恰好がわるいため別に目貫を誂え柄の中央付近に置いたのではないかと思いますが如何でしょう。


質問に対する回答
投稿者:通りすがり
年月日:2019/09/27 21:58:45
回答:ここはいいですね。訂正や弁解ができますから。
先ほどの、南北朝初期頃から目釘の孔が区よりになる云々でしたが、建武は南北朝初期ですから、その後となると南北朝中期頃となるのでしょう。訂正します。


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