現在も生き続ける侍の魂
刀好きの人は、まるで遺伝子に操られているかのように訳もなく刀が好きなのです。
何故なら、彼らの前世は武士だったのです。
刀をある大先生に見ていただく機会がありました。刀は無銘で、目釘孔が二個、中心尻は切り、大鋒、刃文は直刃、長さは二尺三寸六分、反りは六分です。一見すると南北朝中期の大摺上げに見えます。大鋒の姿を見せる時代は、南北朝中期・慶長新刀・新々刀と覚えますが、室町時代末期の天正頃からも大鋒が存在します。この刀は古刀であり、大和系であると思われることまでは小生でも分かるのですが、時代が分からないのです。中心の差表はかなり削っていて、削り過ぎではないのかと思うくらい削っています。見方を変えれば銘を消して大摺上げに化かしたとも言えるので、この目で見ると一個目の孔が生孔で、一寸ほど摺上げて二個目の孔をあけたことになります。ほかにも気になる処があり、刃区を見ると、水影のような映りが区辺りから立っているようで、生に近く見えるのですが、区付近の刃を消してそうなったものともいえそうですが。決め手となるのは帽子で、返りの位置が何処にあるかと言うことでした。帽子の見方は、横手筋と平行に小鎬の先端からを頭の中に線を引き、その線より上で返るのか、下で返るのかで時代が変わってくると言うことでした。下で返るのは末物と呼ばれ、室町時代末期の刀です。鋒が折れても直して使えるように焼きを深くしたと言うことです。この刀はその辺が微妙で、帰りの山が例の小鎬からの平行線を僅かに超えるものです。結果、総合的に判断して天正頃の刀を摺上げたと言うことでした。実に悪意のある手の込んだ刀です。刀自体は大したものではないので、まあどうでもよいと言たところでしょうか。この件で帽子は大切な見所であると勉強になりました。
作成日:2024-09-12
Expiry date:2054-09-12