2017年度の刀剣美術誌上鑑定所感

3月の鑑定所感

2018.2.20

2月号の答えは長船康光の脇差でした。
さて、今月号は短刀です。身幅広く、寸延びて、重ね心持ち薄く、浅く反りのついた体配は南北朝期の短刀姿と捉えられるでしょう。
刃紋の大きめな互の目は美濃物を思わせます。
地鉄は板目に杢目を交え、刃より大きく流れて柾がかる云々や、地沸に地景、金筋・砂流しが盛んなど相州伝の色彩も併せ持つように思われます。
そこで今回は、直江志津兼友の短刀と致します。

2月の鑑定所感

2018.2.20

1月号の答えは千手院為近の太刀でした。
さて、今月号は脇差ですが、ヒントで云う、「身幅の割に大きく寸延び、上半に先反りつく」とは室町時代初期の特徴で、就中、応永備前を指していると思います。この期を代表する刀工には盛光・康光がいますが、一般的にその特徴と云えば、盛光の刃紋は腰の開いた乱れや丁子に丸みを帯びたものが目立ち、康光には乱れに尖り刃がめだったり、こずみ加減となるなるなが云えます。
今回の出題刀のヒントには、乱れに尖り刃が目立ち、やや小模様の刃が交じるとあります。そこで今回は、備前長船の「康光」の脇差と致します。

1月の鑑定所感

2018.1.12

12月号の答えは一平安代の刀でした。
さて、今月号の太刀ですが、鎬幅広く、鎬が高い、地鉄は処々流れて大きく流れて柾がかること、刃紋は直刃調に湾れで、ほつれ・二重刃・喰違刃・湯走り・打ちのけ・帽子は焼詰め等から大和物と見たいですね。更に、総じて古色の目立つ作風であると云うことから大和五派のなかでも一段と古色の作風は千手院が考えられます。また、在銘作が少ないことも千手院派で合致します。康重は「千手院康重」と長銘があります。そこで今回は、千手院の「為近」の太刀と致します。

12月の鑑定所感

2017.12.11

11月号の答えは古備前宗恒の太刀でした。
さて、今月号の刀ですが、身幅広く元先の幅差あまり開かず、重ね厚く、平肉が豊かにつき、ずっしりと手持ちの重たいと言う、その姿形、造込みのヒントは薩摩新刀の特徴を言っているのでしょう。直ぐ調に浅く湾れる刃紋に匂深く沸厚くつき、帽子は深く焼き帰りが長いこと、また、中心の鑢目が檜垣になるなどの特徴を鑑みて、今回は、「一平安代」の刀と致します。

11月の鑑定所感

2017.11.10

10月号は粟田口吉光の短刀で当たりでした。
さて、今月号の太刀を見てみましょう。
姿は、元先の幅差が開き、腰反り高く踏張りあって、先へ伏さりごころとなり、小鋒。
これは、藤末鎌初の姿を示していますね。
また、ヒントで云う地斑映りを特色とする工は、古備前・古青江・古伯耆の三者があげられます。
地刃共に明るいとなれば、古伯耆は外していいと思い、また、中心の鑢目はから見ると、古青江の中心は鑢目が大筋違になるのでこれも外します。残った古備前の誰かと云うことです。。
古備前には多くの刀工がいるでしょうが個銘が思い浮かばないので、ここは代表格の刀工としたいと思います。
そこで今回は、「古備前 正恒」の太刀と致します。

10月の鑑定所感速報

2017.10.12

9月号は初代河内守国助の刀で当たりでした。
さて、今月号の短刀を見てみましょう。
寸が七寸強と小振りで、内反りになる姿は鎌倉後期と捉えられることでしょう。
この期の短刀では、新藤五国光や、来国俊・粟田口吉光などが挙げられます。
中でも、物打辺の焼刃が低いことや、焼出しの処に小互の目を焼くところなど特徴的な見所があり、そこが決め所となるのでしょう。
そこで今回は、「粟田口吉光」と致します。

9月の鑑定所感

2017.9.11

8月号は運寿是一の刀で当たりでした。
さて、今月号の刀を見てみましょう。
まずは、目に飛び込む、直ぐ焼出しがある処から新刀期の刀であると考えられます。その焼出しは上に行くに従い焼幅を広げている特徴から大阪新刀と見ることが出来るでしょう。
焼刃は鎬まで届く乱れに、拳形丁子の様な刃を交えているので、大阪新刀の中では河内守国助のようですが、姿に反りが見られ中鋒が詰まり加減と云う事などを考え合わせると寛文新刀体配となる中河内ではなく、その前の時代の初代と見るべきでしょう。
そこで今回は、初代「河内守国助」と致します。

8月の鑑定所感

2017.8.10

7月号は初代康継の短刀で当たりでした。
さて、今月号は刀です。
鎬幅の狭い姿や、無地風の地鉄と云うことから時代的には新々刀と判断します。しかしながら、新々刀に見る身幅の広い姿形に比べ若干細身も見えます。
刃紋は互の目丁子でしょうか、新々刀期に見る備前伝風であり尖り刃も交えた沸出来となっています。
備前伝を沸本位で焼く刀工には運寿是一がいます。また、是一の作品には割と尋常な身幅の物を見ます。
そこで今回は、「運寿是一」と致します。

7月の鑑定所感

2017.7.12

6月号は兼定の短刀で当たりでした。
さて、今月号も短刀です。
身幅やや広く、大きく寸延び、重ね心持ち厚く、反り浅くつく。この体配より慶長新刀を指してのヒントであると思います。
地鉄は鉄色が黒味がかることから、北国物であろうと判断できます。湾れの刃紋は、ほつれ・バサケに沸づく処などから康継であろうと思います。
また、銘文に材料鉄銘を切っているとあるので、恐らく南蛮鐵云々とあるのであろうと思われ、康継もよくこの銘文を切っています。
そこで今回は、初代「越前康継」と致します。

6月の鑑定所感

2017.6.13

5月号の答えは「近江大掾忠広」の刀で当たりでした。
今月号は短刀です。
姿を見ると、刃長が七寸八分で内反りが強くつき、フクラが枯れるとなれば、鎌倉期ではなく室町時代と見るべきでしょう。
刃紋は直刃を焼き、ほつれ・喰違刃・二重刃などを見せ、大和色が出ています。
さすれば、まず頭に浮かぶのは末手掻であるかと思いますが、ヒントには「この工の属する流派がまま手がける一種の写しもので、・・・」とあるので、これは大和物ではなく、末関で写し物を手がける刀工となるのでしょう。
末関の来写しは有名で、兼定(之定)や兼先・兼常等々がいますが、ここでヒントにある「通常は刃縁のほつれがさまで目立たないものが多い」とあるので、普段は比較的匂勝ちで匂口が締まり心となり、大和伝色が強く出ない兼定(之定)がこれに該当するのでしょう。そこで今回は「和泉守兼定(之定)」とすることに致します。

5月の鑑定所感

2017.5.12

4月号の答えは「肥後守吉沢」の刀とありますが「肥後守吉次」の誤りで、当たりであると思います。

さて、今月号の刀ですが、元先の幅差があまり開かず、反りが心持ち深くつく姿は、万人に愛される肥前刀などに云えるものでしょう。また、独特の肌合いとは肥前刀にみる米糠肌を指してのことと思います。
刃紋は直刃で、匂幅が元から先まで一定に帯状となり、地刃の境がきっぱりしていて働きのある直刃を焼くのは、直刃を最も得意とする肥前の正系、二代・三代とみたいところです。
即ち、近江大掾か陸奥守と云うことですが、どちらかと云えば、刃中の働きに金筋・砂流しが見られるところは二代の方に云えることではないかと思います。更に、勝手上がりとなる鑢目から云っても、ここは二代「近江大掾忠広」としたいです。

4月の鑑定所感

2017.4.12

3月号は「来国次」の太刀で当たりでした。
さて、今4月号より平成29年度のスタートと成ります。今年度も更に勉強を深めていきたいと思います。

さて、今月号の刀ですが、ヒントで云う姿は「元先の幅差開き」とあるので、寛文新刀期の刀と見ることにしましょう。下半の刃紋を見ると、数珠刃風に太い足が入る処など乕徹を思わせます。が、帽子や焼出しが違うので、乕徹に似た作域を示す刀工を考えたいと思います。
乕徹に似るところがあるのは、上総介兼重や法城寺一派あたりでしょうか。
出題の刀は、物打辺りが特徴的であると思われ、ここら辺で考えてみると、二重刃など縦に目立つ働きを見せる刀工は法城寺一派と云えるでしょう。
しかし、法城寺正弘などの中心尻は入山形であり、出題刀の栗尻とは異なりますが、而して、法城寺一派で特に物打辺に長い沸筋が入り、中心先が栗尻となる刀工をがいます。
ここは法城寺一派で薩摩でも作刀したと云う「肥後守吉次」と致します。

2017年度 入札鑑定結果
月号刀問い答え
4月肥後守吉次当り
5月近江大掾忠広当り
6月和泉守兼定当り
7月越前康継当り
8月運寿是一当り
9月初代・河内守国助当り
10月粟田口吉光当り
11月古備前 正恒当り
12月一平安代当り
1月千手院為近当り
2月長船康光当り
3月兼友(直江志津)当り